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観能のきっかけと、「能ってこんな感じ?」を書いてみました。 使われている面を見たさに 私が初めて能を観たのは1996年5月5日。場所は国立能楽堂。能面教室に通い始めて半年後。一度くらいは舞台にかかっている能面を見ておいた方がいいだろうということで、教室の皆さんと一緒に。「子どもの日」なので親子連れの客が多いかと思いましたが、子どもどころかかなり空席が目についたのを覚えています。 中に入ってまず舞台の大きさと美しさ、客席に張り出して正面と横から見るという構造に驚きました。木肌の輝く檜材からは、あのいい香りが漂ってくるようです。 その日の能は「羽衣」でしたが、シテが誰であったかなどは全く覚えていません。面をつけたシテが登場したときには、装束と面の綺麗さに感動しましたが、やがてゆったり過ぎる舞台進行に眠気が襲ってきました。それから後はずっと睡魔との闘いだったような気がします。終わった後の喫茶店での感想も、面が予想より白っぽく見えた、非情に可愛かったなど、中身はもっぱら面のことばかりだったのを覚えています。 二度目の能は約1年後の1997年4月21日。「伝統芸能を守る会」とかいうものでしたが、梅若六郎後援会みたいなもの?。曲は「土蜘蛛」。帝国ホテルで食事付きという豪華なもの。その時も使用面の他に数点、能面が展示されるということだったのに惹かれて姉の誘いにのりました。大枚をはたいて。 会場は大広間にステージを組んで、その前にテーブルがたくさん用意されていました。食事をしながらなので何となく落ち着きのない雰囲気だったような気がしています。高価な着物を着た熟年女性が圧倒的に多かったのも印象的でした。 「土蜘蛛」は「羽衣」とちがい動きのある能だったので興味深く見たようです。残念ですが、主目的の面の方はほとんど印象に残っていません。そう言えば、展示してあった面の中に昭和の新面が1面混じっていたなあ、くらいです。 国立能楽堂に通い始める その年の9月、国立能楽堂で「能面入門」の展示を行っていたので見に行きました。帰りに切符売り場に立ち寄ると、当月分と翌月分を売っていたので「買ってみるか」くらいの気持ちで購入したのが能楽堂通いの始まりです。手にした切符は9月が宝生流・高橋 勇「清経」、10月が喜多流・喜多節世「六浦」の2枚。 さて、初めての自分の意志での観能ですが、残っている感想を見ると「脇正面最後列の真ん中の席。「清経」はもっと動きのあるものと思っていたが、殆ど静止したままの時間が多く、眠気を催すものだった。また、謡曲は全く聞き取れず、外国語を聴いているようなものだ。面内からくぐもった声だし、囃子が大きすぎて聞き取れない」などとあり、まったく情けない状態です。それでも「勉強だと思ってしばらく続けてみよう」と11月は「鉄輪」「江口」、12月に「景清」「額田王」を観ています。 こうして、毎月10日の前売日には国立能楽堂に出かけるようになったわけです。偶然とはいえ、最初が国立能楽堂だったのは私にとって幸運でした。毎月発行される資料にはその月の主催公演の曲の粗筋、解説それに何より詞章が掲載されていることです。謡曲本や謡曲集などの大げさなものでなく、費用も持ち歩きも手軽なこの資料は、覗き見程度の興味段階の私には欠かせないものでした。 量は質を変える? 「とにかくたくさん能を観れば、そのうち謡も聞き取れるようになるだろう」と安易に新年を迎えました。面打ちの教室で白色尉、黒色尉を習ったこともあり一度「翁」を観てみたい、という気持ちも強くなっていました。6,7,8月は休みましたが毎月能楽堂に足を運び年間30曲と数だけは稼いだことになります。念願の「翁」もこの年に観ることが出来ました。 以降、今日まで観た曲数はかなりのものになっていますが、能の観賞度合いが深まったかといえばまだまだ疑問です。 謡は相変わらず聞き取れないままです。が、少なくとも「外国語」から徐々に「何となく日本語」に聞こえるようになってきているようです。専門用語を少し覚えたり、役柄による装束のパターンが少し分かったり、はあっても「少し少し」で基本的には「初めての能」の状態とそれほど変わっていないようです。(2000.10.29) *)以上追加分。以下、既存の「能ってこんな感じ?」。 1)話の展開はパターン化されている 例えば「浮舟(うきふね)」という曲は 諸国を歩く僧が大和の国から京へ上る途中、宇治の里まで来たときに宇治川を舟で下る女性に出会います。僧が、この宇治の里に昔どんな人が住んでいたのかと尋ねます。その女は、「源氏物語」の浮舟がこの土地にゆかりがあったと言い、浮舟の話をします。浮舟は、はじめ光源氏の御子薫大将に愛されておられたが、ふとしたことで兵部卿匂宮にも慕われることになられる。二人の男性のうち、どちらに添うのがいいか決心がつかず、思い悩んで行方しれずになってしまわれた。 と語ります。そして、自分は、比叡山の麓の小野に住むものですが、身に物怪がついて悩んでいるので、都に上られたら立ち寄ってほしいと言って、姿を消してしまう。(中入) 僧は、宇治の里の者から浮舟の話を詳しく聞き、先ほどに女が浮舟の亡霊であることを知ります。(間語り) 小野の里へ出かけた僧が、彼女の跡を弔い読経していると、浮舟の霊が現れ、宇治川に身を投げようとしたが、物怪にとりつかれ気を失っているところを僧に助けられた話をします。そして今、あなたのような僧に回向してもらって、執心がはれたと喜び消えていきます。 と言うような展開になっています。 こんな具合に、旅の僧が、その土地の旧跡に立ち寄って、出会った人(実は旧跡に縁のある主人公の化身)からその縁(ゆかり)を聞きます。ここで主人公の化身は一度姿を消します。(ここまでが前半の第一場です。) その態度を不審に思った僧が、その土地の人に改めて話を聞き、先ほど出会った人が縁の人の霊であると知ります。(後半の第二場へのつなぎとなる間狂言) 旅の僧が、霊を慰めるためにお経を読んで回向をします。すると、主役の霊が現れて、昔話や、今も成仏できないで苦しんでいる様を語り、回向のお陰で救われたといって姿を隠す。という展開のものが比較的多い、一つのパターンです。 2)舞台上の人々とその役割 ここに登場するのは、諸国を歩く僧と浮舟と宇治の里人の3人です。主役(シテ)は浮舟(前半=前場は舟の女性、後半=後場は浮舟の霊)です。脇役(ワキ)は僧です。 ワキは、最初に自分がたどり着いたところが何処かを観客に教えます。そして、出てきたシテにその土地や旧跡のいわれを尋ねます。表面的にはこれでワキの役割は殆どおしまいです。後は、舞台右手前の隅に据わって、シテの話を聞いたり、舞を見ているだけです。ですから極端に言えば、能はシテの一人演劇と言ってもいいくらいです。 前場と後場をつなぐところで里人(アイ)が筋のポイントをその土地に語り継がれた話として語ります。観客への説明とシテの装束替えの時間をつくるという意味があるようです。(アイは狂言師がつとめます。) 舞台にはその他に笛、小鼓、大鼓、太鼓を奏する人たち(囃子方)、謡曲を唱う人たち(通常8人、地謡)が出演します。囃子方は、オペラのオーケストラのように序曲、間奏曲を含めて全体の雰囲気をつくり出します。地謡はいわゆる地の文的な状況説明部分を唱うという単純なコーラスといったものではなく、シテに代わってその心情を唱い上げるというもっと重要な役割をもおこないます。 これ以外に、シテの持ち物を整えたり、衣装替えをしたり、衣装の乱れを直したりする後見という人も舞台に控えています。歌舞伎の黒子とは違い、後見にはシテに万一のことがあった場合に、代わって演じるという任務があります。 3)能の種類と形式 <能の種類> 現在の演能会は殆どが能一、二番と狂言一番のものですが、本来、能は五番立ての演能が正式なものとされてきました。その五番の能は内容と演じる順番とが決められていています。 翁=これは別格 初番目(脇能)=神霊をシテとするもの。神社の縁起や和歌の徳を題材にしています。前シテは老人の姿を借り、後シテで神体を現す複式能の形式が原則になっています。 二番目(修羅物)=源平の武人をシテとするもの。戦闘に明け暮れた武士が、死後も地獄で苦しみ、僧に回向を頼むという内容です。 三番目(鬘物)=優雅な女性をシテとするもの。優美な舞い姿で能の美しさを見せることを主眼とした内容のものです。 四番目(雑能物)=狂女をシテとするものや他の種類に入らないもの。 五番目(切能)=鬼や天狗をシテとするもの。脇能と同様、初めは人間の姿を借りて登場し、後に再び姿を見せるときに本体を現す、複式能形になっています。 <能の形式> 一場物(単式能)=シテが神体や鬼畜、死者でなく、生きた人間の曲に多い。曲の途中で「中入り」しないもの。 二場物(複式能)=前シテは借りの姿で、後シテで本体を現すもの。多くの能がこの形式になっています。 半能=二場物の曲の後半(後場)だけを演じる形式をいいます。 小書=曲名の下などに小さく書かれた演出方法。部分的な特殊演出の場合と、曲想全体に及ぶものとがあります。 4)予備知識なしでは殆ど理解できない 能は予備知識なしでは殆ど理解不可能といえるでしょう。それは、使われる言葉が古文であるうえに、台詞の部分が少なく、謡曲が中心になっているからです。狂言のように台詞が中心なら、古文も何とか聞き取れ、理解できるところも多いのですが、謡曲は慣れないとなかなか聞き取れません。しかも、面を掛けた内側からの発声だったり、囃子方のかけ声と入り交じったりで、話の筋が分からないということになります。 また、能の所作や舞には具体的な意味を持ったものはそれほど多くないので、そこに聞き取れなかった謡曲の意味を探ろうとしてもうまくいきません。 というわけで、最低、粗筋くらいは事前に目を通しておく必要があります。能楽堂には通常、筋書きと曲の見所を解説したリーフレットが用意されています。可能であれば、詞章も入手して内容を理解していればなおよく分かります。詞章を参照しながら舞台を見るのもいいかと思います。 幸い、能はそれほど激しい所作がなく、詞章を参照する余裕はあります。また、主要な舞の所では、囃子だけになることが多いので、そこでは舞台に集中できるという具合です。 5)とりあえず一度能楽堂へ行ってみよう と、こんな説明で粗っぽいですが、下見をかねて、一度能楽堂へ足を運んでみてはいかがですか。公立の能楽堂などはいかがでしょう。美術館や博物館と同様に月曜日休館のところが多いかもしれません。展示室や資料室を覗いてみる、うまくすれば能舞台が見れるかもしれません。たまたま公演日に当たっていたら、切符が手にはいるかもしれません。そうでなくても、公演予定表などがありますので入手してくればいいと思います。また、各流派、各団体の公演日程のチラシなどが手に入ることもあります。 能楽堂の座席(見所)は一般的には舞台正面が正面(席)、向かって左横から見るのが脇正面(席)、正面と脇正面の間の三角形のスペースを中正面(席)といいます。舞台の隅には柱が立っていて、正面、脇正面はこの柱が邪魔になりませんが、中正面は見づらいこともあります。というわけで、切符は正面、脇正面、中正面の順に値段が安くなっていきます。 6)一応、基本的なマナーくらいは 別に能に限ったことではありませんが、やはり開演時刻に遅れないようにしましょう。クラッシック・コンサートのように入れないということはありませんが、同列や後ろの人には迷惑がかかります。見所では飲食物は遠慮します。歌舞伎などでは、舞台を見ながらの飲食もありのようですが、能にはその習慣はないようです。 能の始まりは、出演者の登場前に、楽屋(鏡の間)から囃子の音が聞こえてきます。演者の準備が整ったということですから、こちらも静かに気持ちを能に向けましょう。能はここから始まっていると思った方がいいでしょう。囃子方の人、地謡の人が舞台に登場し、それぞれの位置を占めます。 能では舞台に登場した時点では拍手はしません。終演時でも以前は拍手しなかったそうです。私は基本的に拍手はしていません。今は、それぞれの演者が揚幕に消えるときに拍手をする方が多いようです。しかし、拍手をするのなら、囃子方、地謡も含め全員が舞台からいなくなった時点以降にした方がいいかなあ、と思っているところです。 曲によっては、これも遠慮した方がよいものがあるようです。例えば隅田川、定家、求塚など内容が悲劇的なものや余韻を大切にするものなどのようです。クラッシックで「レクイエム」などの終演時に拍手しないのと同じでしょう。 これもクラッシックなどで、指揮棒が止まるか止まらないうちに、拍手をする人がいますが、能では避けた方がいいと思います。(クラッシックの場合でも、決していいとは思いませんが、一部に得意げな人がいるようです) こんなところでどうでしょうか。 携帯電話のスイッチは切る。撮影、録音はダメ。雑音は出さない(眠るのは仕方ないとしてもイビキは遠慮する)。いろいろ有るには有りますが。 7)何にでも興味がもてれば 初めて能を観て、十分理解が出来て、堪能すればそれほど幸いなことはありません。しかし、何処か一部分にでも興味がもてればいいのではないでしょうか。装束でも、面でも、囃子でも、謡でも、舞にでも、ゆったりとした時間の流れにでも、何か面白いと思ったら、もう一度、また、能楽堂へ足を運びましょう。そうするうちに興味の幅も、深みも増してきて、さらに能が面白くなるのでは、と、じつは私もそれを期待しながらただいま通い続けています。(1999.02.01) (おわり) 東京近郊の能楽堂です。とりあえず以下の5箇所を上げておきます。 *)国立能楽堂 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 電話:03-3423-1331(代) *)横浜能楽堂 横浜市西区紅葉ケ丘27-2(掃部山公園内) 電話:045-263-3050 *)観世能楽堂 東京都渋谷区松濤1-16-4 電話:03-3469-5241 *)宝生能楽堂 東京都文京区本郷1-5-9 電話:03-3811-4843 *)喜多能楽堂 東京都品川区上大崎4-6-9 電話:03-3491-8813 「能の舞台」をご覧になる方は |
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