足教組・教研会議1999年度・基調提案


1・はじめに  

ここ数年来の不況の嵐は区民の生活を直撃し、子どもたちの教育へも大きな影をもたらしています。職業安定所の中卒者に対する求人は足立職安管内(足立・荒川の両区)で昨年はわずか56名しかありませんでした。これが実態です。高卒でも大卒でも就職がむずかしい状況です。中高年のリストラの嵐もおこっています。区内の零細な自営業者もアップアップ生活と営業を続けています。足立区内ではお金のかかる私立高校にはあげられない、ということで、都立高校一本に絞って受験する子が非常に増えていました。  また、学校崩壊・学級崩壊などということばがマスコミにも登場し、子どもたちの心の状況を問題にする傾向が強くなってきています。中学校の問題ばかりでなく、小学校の高学年、そして低学年にまでも問題の状況が広がっていることが問題になっきています。昨年の秋の教育研究集会の時「小学校の高学年の問題」をとりあげた分科会に50名以上の参加者があり、その参加者の多くがそれぞれに問題をかかえていたということに問題の深刻さがみられました。  平和を守る分野でも、安保条約を実質強化し、日本をアメリカの戦争に自動的に協力させられようとしている「戦争法案(新ガイドライン法案)」が自民党・自由党・公明党の協力でたいした議論のないまま成立してしまいました。そんななか、あの日本がおこした侵略戦争を美化し「じっちゃんの物語を語り継ごう」という「戦争論」が広がってきています。若い世代へのこれらの考えの広がりは私たちの平和教育への反省も喚起し、あわせて戦争の事実、なぜ戦争がおこったかをしっかり考えて行く必要性を感じています。日の丸・君が代の国旗・国歌法制化の動きと連動しているのでしょうか。三旗を毎日屋上にあげている学校が昨年よりもさらに増加していることも気がかりなことです。今こそ日本国憲法の平和と民主主義の理念を教育の中で生かしていけるようなとりくみをすすめていくことが求められています。

2・新・学習指導要領が告示されましたが・・・。  

昨年の12月に、2002年度から実施される「学校週5日制に伴う新教育課程」に摘要される学習指導要領が告示されました。昨年夏にだされた教育課程審議会の答申に沿ったもので、文部省や財界が21世紀の教育にどんな展望をもっているかということがかなりはっきりと出されたものとなっています。この間、 新学力観などで指導でなく支援だとかいい、結局低学力・学 級崩壊といわれる現象をうみだしたのではないでしょうか。 これまでの学習指導要領の中で声高にいわれてきた「ゆとり の時間」「必修のクラブ活動」などはなんの総括もなしに消 えてしまっています。また数年前まではどの職場でも「授業 時数の確保」がさけばれてきましたが、学びの内容より方法 を、という声のなかで聞こえなくなってしまったものもあり ます。これまでの何が悪かったのかを良かった点をひきつぐことはないのか、などをしっかり見据えるべきです。

@ 土曜が完全に休日になるに伴って、授業時数を削減しました。

学校に来る日が経るのだから、授業時数そのものが削減されるのは納得できるところです。しかし、これまでの教科の授業時数を大幅に削減し、新たに「総合的な学習の時間」を創設しました。小学校の算数も国語も理科も社会も大きく削減し、これでは基礎学力がつくか心配だという声が大きくあがっているのです。ところが週あたりの授業時数は小学校中学年以上では週あたり2時間しか減らしていません。土曜はこれまで3〜4時間あったわけですから、単純に言っても平日の負担が増えていくということになります。

A それぞれの教科の学習内容は思いつきで内容を減らしている、といった状況でとても系統的な学習に耐えられるようなものになっていません。

国語では文の読みとりに作者の思いを読みとるのは高学年にするとか、算数のミリリットルを2年生に残したままであるなど、これまで教師から大きな問題があると指摘されたところがまったく修正されていません。そればかりではなく、どの教科も「内容」より「方法」を、ということが全面に出ている事が大きな特徴です。中学社会・地理の分野ではこれまでの「世界地理」「日本地理」という区分をまったくとりはらい、『概観』『調査法』などというくくりにしてしまいました。これまでやってきた学習をいっさいなしにするような暴挙といわざるをえません。

B 「総合的な学習の時間」は「何をやってもよい」といいながら、その目標はまったくはっきりしません。

この「総合的な学習の時間」は教科でも特別活動でもましてや道徳でもないということで、学習指導要領自体には総則にわずかに書かれるというだけのものです。ところが全国の学校には、これが今回の改訂の目玉だということで、指導がぐっと入ってきています。例示だということで「情報」「環境」「国際理解」「健康・福祉」の4課題をあげ、これにそった指導が各地でおこなわれ、先導試行もおこなわれています。  次の改訂での「教科の再編」も視野にいれた施策であるということ、教科の内容ともあわさって、内容より方法(態度・姿勢・意欲)などに重点をおくものとなっています。

C 中学での「選択教科の拡大」もさらにすすめようとしています。

この学習指導要領通りに時間割をくむとしたら、中学三年では、クラスで仲間といっしょに受ける授業というのは最低で15時間になってしまいます。それぞれの学校ではクラス編成を苦労しておこなっています。学習集団としてのクラスをどう考えていくかという問題にぶつかります。すべての子どもに共通のメニューを用意し、習得できるよう努力していくことが小・中学校の教師に課せられた任務であるはずです。それを「選ばれた教科」だけをやればいい、という発想自体が教育基本法の精神をふまえていないといわざるをえません。小学校での習熟度別学級編成も容認の方向になっています。

3・高校入試をめぐって  

今年の高校入試は不況の中での都立高校指向が強くでたのと同時に、はみ出た子どもの数も数年来の大きな数字になりました。都教委の計画進学率は96%ということで少しアップしたのですが、結局都立高校指向が強かったこともあり、足立では全日制の高校進学率は91%にとどまりました。中3の子どもたちが進路先を確定していくのには一人ひとりのドラマがあります。「どこにもいくところがなていかもしれない」という不安の中でクラス子どもたちがいます。この不安を取り除くのは、昨年の募集定員を維持するだけで子どもの数が減っている今実現できるのです。新たな税金を投入しなくてもできるのです。行政の「やる気」の問題です。都の場合「反動教育のすすめ」をする石原慎太郎氏が知事に当選し、困難が予想されますが、要求をまとめて運動を広げていくしかありません。  都立高校の推薦入試制度も子どもたちに無用の不安を広げるものとなつています。落ちる子は何回も落ちます。中学三年で何回も「オマエはだめだ」と宣告される子の気持ちが行政当局にわかるでしょうか。推薦・一次・二次とすべて失敗したY君は「先生、もう落ちるのはいやだよ」と言って都立高校定時制二次の出願をしませんでした。「受験機会の増加」というふれこみでスタートした推薦入試は大きな問題を広げています。教師にとっても「落ちる子の調査書」を何回も書くという事務量の増大が問題になっています。そして高校の多様化は、中学の教師でも「新しい高校の教育内容」がよくわからずに指導するということになり、結局は子どもたちが進路先を確定していく材料を提供できないでいます。この間隙をぬって「塾」が「進路指導」をおこない、結果として学校の役割を低めてしまうということになっています。高校の多様化は入学(いや高校選択)をする時に、自分の将来の方向をある程度決めなければならないということになり、これもまた大きな問題です。普通科の中につくられたコースなどを子どもたちがきいても自分がそこに進路先を決めようと言う決断をするには現在の中学教育はあまりにも無理が多い、というものです。中3の子どもたちは「もう少し考えて」自分の方向を探ろうとしている子がほとんどです。いろいろなことをやってみて、自分の進路を探る、ということが15〜18歳ぐらいの子どもたちには必要なことだと思います。普通科高校をこそ充実させていくことが求められています。

4・管理主義教育の広がり  

「学校崩壊」という本が売れているそうです。今日の学校内での子どもたちの「荒れ」の状況を逆手にとり、「親が悪い」と父母にその責任をなすりつけ、学校内では管理主義のすすめを説いている書物です。ここには子どもたちの健全な発達を願うよりも「学校の体面・体裁」を最優先させ、 子どもの成長をおさえこもうという意図がみられます。また、あらかじめ決められた「予定」にしたがってたんたんと毎日をすごしていく、という「事務的な」傾向もないでしょうか。常に子どもたちの変化、成長を分析し、計画を変更できるような柔軟な姿勢がほしいものです。基準は「子どもの成長」です。  また、さいきんの小学校の学級の困難な状況も学級担任が一人でかかえこんで悩んでいるの場合が多くあります。学校全体ではげましあいながら、何が問題なのか、お互いにできることは何かを考えながら、実践をすすめ、事態の克服にすすんでいるところもあります。しかし、根本には管理主義を廃し、変化する子どもの状況を集団で分析しながら、新たな方策を視野にいれてとりくんでいくことも必要だと思います。とかく経験主義的な姿勢が通用しなくなっているのも一方では現実なのです。  儀式的なことを強調して「上の者の言うことにはだまって従う」ということを教えこもうという傾向も広がっています。卒業式も子どもの成長の到達を確認する場ではなく、地域の手前、いかに整然と時間をすごすかということだけが基準になっている傾向がないでしょうか。研究奨励校問題も