|
天国へ行ったムッちゃん 2006.7.20
もうすぐ梅雨が明けると、いよいよ夏本番ですね。私は戦後っ子ですが、お盆の前に毎年聞かれるのが終戦の話、原爆の話。そして私が思い出すのは、終戦と同時に大分で幼くして亡くなったムッちゃんの話です。私が28歳の時の日記の一文をここに転記します。
尾崎氏(現・フレット楽器尾崎社長のご尊父)にとって昭和52年は最後の活躍の年であった。夏のある日、尾崎氏は私に数枚の紙切れの入った袋を手渡し、「入江さん、作曲して下さい、詩を書きましたので」・・・その中には戦争33回忌の新聞記事と尾崎氏の詩がしたためられていた。辛い死への世界を「喜び」と詠んだ美しい氏の世界・・・とめどもなく涙が流れ、私の中からこの曲が生まれた。尾崎氏が他界する2ケ月前のことであった。
毎日新聞で同時に紹介された、戦争中に死んだ2人の幼い子供のお話。健ちゃんは空襲警報の中で、防空壕に走らずキュウリ畑に走り、野井戸に落ちて死んだ・・・ムッちゃんは大分に疎開にて結核を患い、防空壕の奥に住まわせられ、少ない食事と水を与えられていたが、終戦とともに忘れられて、防空壕で餓死してしまった哀れな女の子の話。尾崎氏が鎮魂の詩を書き、私に作曲を依頼された。記事とともに鎮魂詩を読み、暗い部屋にこもり、止め処も無く涙が流れ、そしてギターを通して、悲しくも美しい曲が浮かんで来た。楽譜を起して尾崎氏に送ると、なんと毎日新聞に楽譜と共に大きく紹介された。
時は流れて20余年、私が仕事で大分転勤になった数日後、大分合同新聞でムッちゃんの記事を見た。なんとすぐ近くにムッちゃん公園があった。奇遇である。千羽鶴に囲まれたムッちゃんの像に手を合わせ、また涙した。
健ちゃんとムッちゃんを作曲した後、関西ではこの話が人々の心を揺り動かして、毎年正月に神戸で「ムッちゃんを偲ぶ会」が催され、演劇でもムッちゃんの実話が取り上げられ、ついには映画にもなったムッちゃん。しかし可愛そうに健ちゃんの話は取り上げられることはなかった。尾崎氏は、健ちゃんとムッちゃんが天上界で幸せそうに手をつないで歩いてる・・・と詠んだ。その後大分ではなんとムッちゃんの像まで建立された。
数年後に関西の作曲家の方が、「ムッちゃんの歌」を作詞作曲された。大分ではその曲が採用されて、子供たちに戦争の悲惨さを語り継ぐ教育がなされているらしい。私の作曲「健ちゃんとムッちゃん」は他県の健ちゃん(岐阜県?)が同居していたために、採用出来なかったと聞いている。哀れな健ちゃん? 哀れはこの曲か?
以下に、尾崎義郎作詞の原題「天上の喜び」の全文を掲載し、私の作曲試聴版を添付しました。歌詞を見ながらお聴き下さい。途中でギターデュエット間奏が入ります。 ♪健ちゃんとムッちゃん♪ 
1.遠いあの空天の国 お花の咲いてる 川のそば 健ちゃん ムッちゃん 手を取って はればれ二人で 歩いてる
2.あんなに悲しいあの日から 今もしっかり 離さない キュウリと竹筒 持っている 嬉し涙が光ってる
・・・ ギターデュエット間奏 ・・・
3.生まれた所は違うけど 一つに結んだ天の上 出会う岸辺で 抱き合って 愛の調べを歌ってる 出会う岸辺で 抱き合って 愛の調べを歌ってる
|