仁川港に上陸した木越旅団は、韓国政府に圧力をかけた。これに対して韓国政府は日本側の要請に答え日韓議定書に調印。その後、第一軍(黒木大将)は鎮南浦に上陸し、4月7日北進を開始。ロシア軍は鴨緑江の対岸と九連城に陣地を築き、日本軍が来るのを待ち受けていた。戦費を外債に頼らざるえない日本には、信用を得るため初戦は圧勝する必要があった。第一軍は鴨緑江方面のロシア軍の2倍の兵力を用意し。4月29日砲撃を開始した。5月1日、各師団は渡河を開始した。砲撃によって戦意を喪失していたロシア軍は陣地を捨てて、九連城に後退。しかし、援軍が来ないことを知ったロシア軍は九連城をも捨て、さらに後方の鳳凰城まで退却してしまった。この時、奥大将の第二軍が遼東半島に上陸したため、後方が遮断されると判断したロシア軍は、鳳凰城のロシア軍に退却命令を下す。九連城、鳳凰城は日本軍の占領下におかれた。
