遼陽会戦に敗れて退却したロシア軍は、ロシア本国からの大量の増援を受け、追撃しなかった日本軍に対する反撃を企図した。1904年10月2日、ロシア軍は攻撃を開始した。これに対する日本軍はその対応に後れをとったが、やがて反撃に転じ、右翼の第1軍を旋回軸として包囲的に攻撃し、敵を撃退。16日には各軍とも沙河左岸に進出して会戦を終えた。しかしながら、日本軍は兵力と弾薬の欠乏により、ロシア軍に徹底的な打撃を与えることはできなかった。
日露戦争会戦史へ戻る