仁川港・旅順港奇襲

仁川港奇襲

 開戦前ロシア太平洋艦隊は、旅順方面に主力部隊、ウラジオストックに巡洋艦部隊、仁川に2隻の軍艦を配置していいた。大陸に陸軍や物資を安全に輸送するためには、ロシア艦隊を壊滅させ、日本が制海権を抑える必要があった。2月6日、日本連合艦隊は旅順港へ、瓜生戦隊は陸軍の輸送を護衛し仁川港へ、第三艦隊はウラジオ艦隊の監視に出撃した。2月9日、仁川港に陸軍の上陸を無事終了させた瓜生戦隊は、仁川港に派遣されていたロシア艦に、挑戦状を送り戦闘をを開始。戦力の上回る瓜生戦隊が有利に戦闘を進め、ロシア側は仁川港に逃げ込み、自沈させた。仁川の海戦は、ロシア側からの命中弾は一発も無という日本の完全勝利に終わった。


                       

旅順港奇襲

 日本連合艦隊主力は制海権を得るために、ロシア太平洋艦隊の主力、旅順艦隊がいる旅順港へ出撃した。旅順港は強固な旅順要塞に守られ、湾内に侵入するには、軍艦への相当の損害を覚悟する必要があった。そこで、日本は、駆逐艦による夜間奇襲を計画した。旅順港に駆逐艦10隻を向かわせた。途中、混乱が生じたが各艦ごと艦長の指示のもと、湾内に侵入し魚雷を放ってすぐに戦線を離脱した。しかも、この日はロシアのマリア祭の日であり、ロシア軍幹部は夜宴を開いており油断していた。戦果はロシア側戦艦2隻、巡洋艦1隻が大破、日本側に損害はなかった。しかし大破では、すぐに修復し戦線に復帰してしまうことから失敗であった。翌日、連合艦隊は勇敢にも危険を省みず湾内に侵入し、旅順艦隊に対し攻撃を開始した。しかし旅順要塞の砲撃威力はすざましく連合艦隊は退却した。この戦でロシア海軍に決定的打撃を与えることができずなかった。バロチック艦隊が極東に回航してくる前に(合流すると日本の倍以上の戦力になる)旅順艦隊を撃滅させることが日本海軍の急務となった。そして制海権の掌握のため、これから長く厳しい旅順港封鎖作戦が開始されるのである。

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