控訴棄却を受けて
7月11日、東京高等裁判所において判決が言渡され、なんと控訴棄却であった。判決そのものは冒頭に言渡されるので、裁判長が「被告人の控訴を棄却する。」と言った瞬間に敗訴と分かった。もちろん勝訴を確信していたのであるが、日本の裁判のことであるから一抹の不安はあった。判決を聞いて唖然としたが、それでも公開の裁判なのであるから判決理由を陳述しなければならない。一体どのような理由でこんな判決が出てくるものやらと、懸命に判決理由を書き取った。
控訴審において私が争った一審での事実誤認はほとんど認められた。まず、本件において私は粉飾決算の動機を強く争った。一審で認定された動機は3点ある。大友・村上の株価操縦の黙認と金銭授受並びにキャッツに対する愛情である。すなわち、私はキャッツに対する愛情を強くもっていたところ、平成13年夏に大友・村上の株価操縦を打ち明けられ、これをこの段階で黙認してしまったため、株価操縦の後始末としての粉飾決算を行なわざるを得ず、これを公認会計士としての専門知識を駆使して行なうことにより、1千万円の報酬を得たというのが一審での事実認定であった。
これに対して私は、1千万円の現金の帯封に刻印されていた日本銀行の統一番号を証拠提出して、1千万円が粉飾とされる決算とはまるで関係のない時期に受取られた正当な業務報酬であることを立証した。又、控訴審での大友・村上・西内証言により、株価操縦の告白など現在に到るまで受けたことがないことも立証した。判決ではこれら2点の立証は認められ、控訴審における事実認定からは除かれていた。
判決では、私がキャッツの店頭登録に尽力したことや、かつてキャッツが資金難に陥ったときにその救済のために努力したこと、及び、経理部門のレベルアップのため無償で研修を行ったことを持ち出して、私のキャッツに対する強い愛情を認定した。そしてその愛情は、大友元社長たちのために粉飾決算を行ないたいという犯意を共有するほどのものになってしまったと言うのである。私はキャッツに対する愛情自体は争っていない。事実だからである。控訴審判決ではこれが本件粉飾決算における私の唯一の動機とされた。
次に、検察官の主張していた3つの共謀の日についても、私の主張が全て認められた。一審では、外国にいて物理的に出席できない会議に私が出ていたことになったり(2月15日)、共犯者なる人が参加資格のない会議に出ていたことにされたり(7月18日)、買収に反対した私が賛成したことにされたり(11月7日)と、信じがたい事実誤認がなされた。それらの会議で粉飾決算の共謀がなされたというのである。控訴審ではこれらの事実誤認のほぼ全てにおいて客観証拠が出てきて、それに伴い、一審で私の有罪を偽証したほぼ全ての共犯者とされる人達が、私の無実を逆転証言した。真実はどこかに足跡を残しているのであり、誰かがその真実の影を見ていたのである。
ところが、控訴審判決ではそれでも共謀は成立していると言うのである。中間決算の共謀については、確かに7月18日の共謀はなかったかもしれないが、その前に数回の顧問会があったのであるから、そこで共謀を行なう事は可能であったとされた。又、本件共謀には私と開發氏の共謀が不可欠であるが、何も私と開發氏が直接共謀しなくとも、私と大友社長が共謀し、大友社長と開發氏が共謀すれば、私と開發氏の共謀は間接的に成立するのであるから、従って共謀は成立するとし、従って、共謀があったと認定された。又、11月7日の年度決算の共謀については、中間決算の共謀があった以上、自動的にその共謀を引きずっているのであるから、11月7日の事実認定に関わらずやはり共謀は成立しているとのことである。2月15日の海外スキームの共謀については、判決は全く触れず、無視であった。
控訴審では粉飾決算そのものがなく、決算は適正であったことを立証したのであるが、判決では会計原則上の根拠や理由を明示することなく、いきなり本件が粉飾決算である事は疑いないと結論付けた。判決は中間期の大友振り出しのパーソナルチェック60億円に資金の裏づけがなかったことをもって、本件中間決算における粉飾を認定した。このパーソナルチェックには資金の裏づけがなかったのであるから、それは紙切れに過ぎず、紙切れに過ぎないものが貸借対照表上資産として計上されたのであるから粉飾なのだと認定している。又、それが本来大友に対する貸付金であったことも明白で、本件において貸付決議がなかったことや貸付契約書や金利の定めがないことも、貸付金であることの障害にはならず、本件のような状況下において会社から金が出た以上、それは自動的に貸付金であるとのことである。
私は、本件はそもそもパーソナルチェックが貸借対照表に資産として計上されたものではなく、キャッツから出た60億円が株に転化して開發氏にファンドとして預けられたものがそのまま預け金として資産計上されているのであるから、事実がありのままに表示されていると主張しているのであるが、この主張については基本的に無視である。
年度決算については、ファースト・マイルの事業計画における収益計画が非現実的な事は疑いがなく、従って60億円という株価算定は過大で、その中で価値を認めるとすれば最大で6億5千万円しかないのであるから、粉飾は疑いないとの認定であった。私は、第三者の行なった株価算定は再調達原価を根拠として合理的であり、しかも現在ファースト・マイルは60億円の評価に見合う業績を上げていること、その株価算定に私は何ら関与していないこと、私はむしろこの買収に反対していたこと、さらには、そもそも会計上の取得原価と資産の価値は異なり、取得原価は取得対価により決定されること、さらには6億5千万円など直近の売買事例に過ぎずキャッツの取得原価とは何の関係もないことを立証したのであるが、全て無視された。又、有価証券報告書ではファースト・マイルの純資産が6億5千万円どころか6千万円しかなく買収差額は償却されることを開示しているのであるから、もとより事実をありのままに開示しており、適正であることを立証したのであるが、これも無視であった。さらに中間決算並びに年度決算における会計処理に関する会計学者意見書を提出し、これには検察官でさえか同意したのであるが、判決はこのことに全く触れず、無視であった。
私との共謀がなかったとする控訴審における大友・西内の逆転証言は信用できないとされた。弁護側が一審において大友・西内の供述調書の一部に同意したものがあること、及び、大友・西内の逆転証言についてそれを弾劾すべき一審の弁護側反対尋問が不十分であったのであるから、従って、控訴審での逆転証言は信用できず、一審での証言が信用できるとのことであった。村上元専務の涙の証言は、逆転証言ではなく新証言なのであるが、これは全く無視であった。私は一審での関係者の証言こそ信用できないとして、大友・村上・西内に対する違法取調や異常なリハーサルによる証言の捏造を立証したのであるが、これについても全くの無視であった。
又控訴審判決では、私が問題とされた平成14年以前に会社の不正自社株買いを防止したこと、平成14年に不正な役員貸付を防止しようとしたこと、平成15年の粉飾決算を発見・防止したこと、ゴーイング・コンサーンの特記を含む厳格な監査意見を付すよう指導したこと、そのあと監査契約の解除を主導したことを新たに認定したが、そのことと平成14年の粉飾決算の共謀とは関係がないとのことであった。
以上判決理由の朗読は1時間弱で終了し、裁判長は
「判決に不服がある場合は、本日を含め15日以内に当裁判所に最高裁判所への上告をすることが出来る。以上。」
と言い残し、逃げるように退廷していった。
もちろん私はこの判決に不服であり上告する。最高裁判所への上告は、控訴審での判決に憲法違反あるいは判例違反があった場合、あるいは判決が著しく正義に反するものである場合に初めて認められ、原審へ差し戻される。上告そのものは無条件で出来るのであるが、ほとんどの上告はこの条件に合わないとして即時却下される。まことに狭き門なのであるが、ここまできた以上あきらめるわけには行かない。
日本の一審での起訴有罪率は99.9%である。控訴審では逆転有罪の数が逆転無罪の数を圧倒的に凌駕し、さらには最高裁への上告は即時棄却されるのが通例であるから、逆転無罪など万に一つの可能性もない。私はその万に一つもない可能性を信じて、この長い裁判を闘ってきた。なぜなら、私は常に適正な決算を指導してきており、従って決算は適正だからである。適正な決算を粉飾であると誤認する判決は、人類の英知たる企業会計原則の否定に他ならず、これを国家と民族の判例としてはならない。司法における敵は幾千万あろうとも、私は公認会計士であり、これを許すことはできない。
戦後62年、日本の司法は国民から切ないほどの信頼を得ているが、その実態はベールに隠されて、国民の目に触れる事はなかった。しかし、それを体験したものにとってみると、日本の司法は激しく制度疲労を起こしていると言わざるを得ない。本件のごとき直接的客観証拠の皆無な経済現象が、共犯者とされる関係者の捏造された証言のみで経済事件として立件され、あろうことか、全くの無実の人間に有罪判決が出てしまうのである。制度疲労は、検察官だけではなく、裁判所にも、そして弁護士にもある。
日本の事件報道は逮捕即有罪を前提としたものであり、本件における報道もその悪しき伝統を濃厚に有している。これでは無罪判決など取ってみたところで被疑者の名誉回復など不可能ではないか。私は控訴審の過程において少なからぬ司法記者の方々と接触する機会を得たが、驚いたことに、彼らは例外なく捜査機関の不当な取調による事件の捏造や、推定無罪の機能しない裁判の実態を熟知しているのである。それを知りながらなぜ真実を報道しないのか?司法記者クラブおよび99.9%の起訴有罪率の中で、報道機関自身が本来の健全なる批判精神を忘れ、逮捕即有罪という予定調和に安住しているのではないか?
本件は、公認会計士や税理士といった職業専門家の方たちに、切実な課題を投げかけるであろう。検察庁特捜部はその犯罪捜査の主力を経済犯罪に置くそうであるが、経済犯罪の現場には常に我々職業専門家の存在がある。我々には職業専門家としての厳格な守秘義務が課せられているが、残念なことに我々が守秘義務で守るべきクライアントは、事件の際には我々を守ってくれるどころか、反対にその責任を押し付け、自らの保身を図ろうとするものである。それでも職業専門家の守秘義務は重い。そこで、参考人としての取調段階においては、業務上知りえた事項はこれをクライアントの了解なく開示できないとして、監査論の教科書に記載されているとおりの対応をしたところ、見事に逮捕されてしまった。現在の経済犯罪捜査は、職業専門家の守秘義務と両立できないのである。
開示されない長期絶対権力は必ず腐敗する。本文の記載時点において、社会保険庁の杜撰な年金記録が社会的問題となっている。社会保険庁の実態が長期間にわたり開示されてこなかったばかりに、その勤務実態は国民の想像を絶するほどに腐敗を極めていたではないか。同様の現象が司法においてだけはないと考えるほうが、論理的に無理がある。本件における捜査当局の杜撰かつ非道な捜査は、それが社会的に開示されないからこそ可能となっているのであり、その遠因は、司法に対する監視を怠り適切な開示を求めてこなかった、私自身を含む全ての国民の側の怠慢にもある。
私には、この判決が憲法違反であり、著しく正義に反するものである事は疑いがない。しかし日本の司法の闇は想像を絶するほどに深く、その壁は公認会計士の全知全霊をもってしてもなお乗り越えられない。しかし、誰しもが乗り越えることをあきらめざるを得ないほどの厳しい試練を神が与えるからには、神は私だけはそれを乗り越えられることも又知っているのではないか。なぜなら神は私の無実を知っているからである。私の公認会計士としての闘いはなおも続く。
2007年7月11日控訴審判決を受けて 公認会計士 細野祐二