中国黒龍省ハルピン市出身。1986年来日。ISS日中通訳コース、
北京第二外語学院研修課程修了。大阪外国語大学国際文化学科卒業。
中国語と日本語(国語)の教職免許を持っており、現在、翻訳者・通訳者
中国語講師として、幅広く活躍しています。

 

ご挨拶

 この度、中国語教室を創立するにあたって、皆さんの語学学習をお手伝い
すると共に、様々な業務を展開し、中国社会への理解、文化の伝承、
日中の民間交流と友好に少しても微力を尽くせばと心から願っています。
 これを機会に、教室のご参加や業務のご依頼を歓迎するほか、ご質問や
ご意見、ご指導などを是非お寄せください。「楽しい交流の場」として、皆さん
の光臨をお待ちしています。
  どうぞ、宜しくお願い致します。(請多々関照!) 
みみタロウ
日本語版 39号  2003年4月


滋賀県国際協会ボランティアグループ「みみタロウ」
大津市におの浜1−1−20 ピアザ淡海2F
пF077−523−5646 Fax:077−510−0601
E-mail:mimitaro@s-i-a.or.jp
URL:http://www.s-i-a.or.jp

 

自分探しの旅


http://www.kjps.net/user/liuying/
 思春期は、ひとりの人間としてアイデンティティを確立する大切な時期。外国からやってきた子ども達は、 異なる言葉と文化の中で自分探しの旅に乗り出します。今回みみタロウは、14歳で中国から来日し、現在、翻訳や中国語講師で活躍されている劉穎さん (守山市在住)にご自分のこと、子育てのことについてお聞きしました。
 

来日のいきさつ

 私の祖母は日本人で、日本の植民地政策下、満州に住んでいました。第二次世界大戦敗戦時、病気だった16歳の祖母は、他の日本人と逃げることが できずひとり取り残されたところを中国人の祖父に救われました。日本政府の残留孤児の呼び寄せで私達一家は来日しました。

学校生活

 大阪の中学に入学しましたが、言葉は全くできず、休み時間も一人ぼっちで座っているような日々でした。ようやく高校で日本語も随分わかるようになりました。 そしていつのまにか国語も好きになり、クラブ活動でお茶や和裁をしたりと日本の文化を積極的に学びました。 自分の進路を考え始める 高校3年になって、中国語も日本語も中途半端な自分について考え、そのまま日本の大学に行くのではなく、中国の大学に1年間学んだ後、 日本の大学で日本語教育について学ぶことにしました。自分の経験から、帰国子女と在日外国人児童にとって必要なのは、 「日本語教育・母語教育・国際理解」という三つの方面からのサポートだと痛感しています。
 

アイデンティティー

 長い間、自分自身、中国と日本の狭間で悩んでいましたが、両国で自分自身を見つめた末、アイデンティティーにこだわる生き方もいいけれど、 一方を切り捨てるのではなく両方でもいい、足りない部分については勉強していけばいい、と考えるようになりました。そして大学卒業 時には、 来日以来使用していた日本名をやめ、中国名を使うことに決めました。中国人だからということでなく、自分の元の名前に戻すのが自然であり、 そして色々な差別に負けないという意味も込めて。

育児

 中国人と結婚し、5歳と3歳のこどもがいます。 中国では人間関係が大変濃密で、子どもは親族や近所の人々をはじめ多くの人々との 関わりの中で育っていきます。ここで私は実家も遠く、夫も忙しく、孤独な育児を経験しました。最初の子どもは体の弱い子で、 次から次へと病気になりました。さらに二人目も生まれ、不安を抱えながら一人で一日中こどもに向き合うことに心身ともに疲れ果てていました。  「このままではいけない」と 気を取り直し、思いきって女性の悩み相談に電話をしました。そこでは初めて人に自分の話を聞いてもらい、 すべての重圧を下ろしたように楽になりました。そして自分を大切にすることを学び、自分自身の生きる道を探し始めました。  このような辛い経験をお話するのは、もし自分ではどうにもならない悩みを抱えている人がいたら、いろいろな 制度や相談窓口を利用してほしいと思うからです。必ず助けてくれる人も、方法もあるはずですよ。
 今は、仕事を楽しみながら子ども達との時間を大切にして充実した日々を送っています。
 そして夢は翻訳や言葉を通して、日中友好や文化交流の掛け橋になることです。

 


 
●No.052
 

 
「日中翻訳鑑賞〜大切なあなたに伝えたい〜」
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劉穎さん

滋賀県守山市
 

 2つの国と言葉への思いを大切につづる
 

 なかにし礼「赤い月」、さだまさし「解夏」など、日中両国の小説や映画、歌詞の原文と中国語訳/日本語訳、解説を載せる。劉さん自身の各作品への思いや言葉に対する情熱が読ませる。現在の読者は1000人以上。
 劉さんの祖母は日本人。18年前、日本政府の残留孤児呼び寄せで一家で来日した。が、中国育ちで当時14歳だった劉さんには「祖国」日本は未知の国。言葉もわからず、入学した大阪の中学でも長い間ひとりぼっちだったという。 それでも、日本語への興味は人一倍。「美しい。ぜひ勉強したいと思いました」。熱意と周囲の助けが実り、少しずつ日本語と日本文化になじんだ。その過程で将来の夢を文芸翻訳家に定めた。
 だが「夢」を形にするのは難しい。ビジネス文書の翻訳などを手がけつつも、「私がやりたいのは文芸翻訳」との焦りに悩んだ。そんなとき、字幕翻訳者・戸田奈津子さんの「下積み20年」の言葉にはっとした。「夢は、生涯かけて追究すればいい」。その第一歩としてメールマガジンを創刊、自分なりに文芸作品の翻訳・発表を始めた。
 個人的な勉強のつもりが、反響は意外に大きかった。翻訳や中国語に興味を持つ人はもちろん、中国や台湾のビジネスマンから感想をもらうことも。なかでも忘れられないのが、祖母と同じ戦争を経験した70代男性からの手紙だったという。
 かつて悩んだ「2つの祖国」も「翻訳者としては強み」と思えるようになってきた。「日本語の『大切な』を中国語に直訳すると『重要』。でも日本語の『大切な人』には、かけがえのない、いとしい、愛するなどより細やかな思いがこもる。そのニュアンスを伝えたい」。そんな真摯(し)な熱意に満ちたメルマガだ。

 

2004.03.09
 

 

          E-メール:liuying@kjps.net        


 

 

1、講師の紹介

             劉穎(りゅうえい)