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○ 「掃除の出来ない女」でした。


昔から、掃除が全く出来ませんでした。
というか、衛生観念そのものがありませんでした。小学校の頃からお風呂が大嫌いで、学校さえなければ何日でも入らずにいても平気でした。歯磨きも嫌いで、口の中は虫歯だらけ。
それでも、中学生くらいになると人目も気になるので、自然にお風呂などの身づくろいは人並みにするようになってきます。(それでも、大分ずぼらでしたが)
しかし、中学生になっても、高校生になっても、更には大学生になってもずーっとできなかったのは、「部屋の掃除」「整理整頓」でした。

まず、汚いことが気持ち悪くなかったのです。
脱いだ服は床の上に撒き散らす。その気になったときに、洗濯機にいれる。
お菓子のゴミは机の上や床に置きっぱなし。別になんとも思わない。
学校の荷物は、机の上に置きっぱなし。机を使うときはベッドの上に移動させて、寝るときは机の上に移動させる(!)。
狭い床の上には、あちこちにゴミの山・教科書やプリントの山・洋服の山が出来ていて、何も踏まずに歩くにはかなりの熟練が必要でした。自分はどこに何があるのか一応把握しているので、ジャンプしながら目的までたどり着けますが、家族には「どこを歩いていいの?」と困惑気味に聞かれる状態。
さらに、「どこに何があるか把握している」つもりでも、知らない間になくなっていくもの多数。片付けないのに、捨てられないのに、必要なものはどんどんどこかに消えてしまう…
ぐちゃぐちゃの学校の荷物。その中から必要なものを掘り出して学校に持っていく日々。当然、忘れ物だらけでした。
母親は毎日のように「部屋の片づけをしなさい!」と怒っていました。
「片付けられない女たち」、「捨てる技術」…などなど、いろいろと掃除に関する本を持ってきては「読みなさい」と言われる始末。

でも、掃除がすっごく嫌いで、ものすごーく苦痛だったんです。

2ヶ月か3ヶ月に1度くらいは、部屋の掃除をすることもありました。でもそれも、「もうこれ以上になったら住めない」という臨界点に来て、親に怒られて、仕方なく始める…という感じ。
掃除を始めても、それが苦痛で苦痛でたまりませんでした。とにかく面倒くさい。どこから手をつけていいかわからない。出来る気がしない。
「やりたくないよお」って、泣きながら掃除することも珍しくありませんでした。そのくらい、苦痛で仕方がなかったんです。

ちなみにマクロビでは、掃除が出来ないのも「病気」と言われます。
確かに病的だった今は思います。わたしはもう「瀕死の病人」だったと言っても過言ではないでしょう。

マクロビを始めてからもしばらくは、部屋の掃除はキライで出来ませんでした。
しかしあるきっかけを境に、
「汚いの気持ち悪い!」
という、正常な感覚を取り戻したのです。

あるきっかけとは、 「 半 断 食 」 でした。

ある夏休みに、一週間近く「ごま塩をかけた玄米を少量、ひたすらよく噛んで食べる」という半断食をしました。ちょっと辛かったけど、途中から驚くくらい体が軽くなってきました。そして自分の部屋をはたと見たときに…
「汚くて居心地悪い…掃除しよう」
と、自然に掃除を始めてしまったのです。

それからは、ちょっと片付いていないときがあっても、以前のように「床が見えない」状態にはなりません。暇なときにささっと掃除が出来るし、以前のように泣きながらやらなくちゃいけないほど辛くありません。むしろ楽しいことの方が多いくらい。
台所の片付けも好きです。終わった後のすっきり感が気持ちいい。
学校で貰ったプリントは大概二度見ることはない…というくらいなくしていたのが、「きちんと折りたたんでファイルに分類して整理する」ということが自然にできるようになりました。当たり前のことなんですけど。
でも、昔は出来なかったんです。たったそれだけの、みんな当たり前にできることが面倒くさくて仕方なかった。それが自分でもコンプレックスで、そういうことがきちんとできる女の子にずーっと憧れていました。

身体と精神がすっきりしていれば、掃除は自然にやりたくなるものです。部屋の様子を見れば、今の体調が良く分かります。なんとなく乱雑なときは、体調も何となく「イケてない」感じです。
なんで以前はこんな簡単なことが出来なかったんだろう?と不思議で仕方がありません。
(※半断食には色々なやり方があるし、体調などの問題があるのでむやみに自己判断で行わない方がいいと思います)

片付けられないのも、本当に病気なんだな…と、わたしは思います。周りから見れば「どうしてそんなことができないの?」とわからない。でも本人がいくらやらなくては、と思ってもできない。気力が湧かない。汚くても気にならない。
最近あちこちで報道される「ゴミ屋敷」を見るたびに、心が痛くなります。だって自分もそうなっているはずだったのですから(誇張ではなく、あのまま一人暮らしなんかになれば、本当に家中をゴミ屋敷化していたはずです)。
ゴミを溜め込むというのは、身体にも余計なものを溜め込んでいるということです。不思議なことに、そうなのです。
余計なものを溜め込んでいると、循環しなくなります。でも生きているということは、どうやら循環することみたいです。血液もリンパ液も、キレイに流れてこそ健康でいられる。水の流れもよどんでしまうと汚くなります。お金も思いやりも、なんでもすいすい流れている方が良い感じです。
なんでも溜め込むようになって、手放せなくなってしまい、不活発になること。そして不自然なまま滞留してしまうこと。
それが「片付けられないという病気」なのではないかと、今のわたしは思っています。そしてもし、「自分は片付けられない人間だ」と思い込んでいる人が居るなら、その「病気」が治ったときの爽快感や楽しさを、味わってもらいたいと思います。「掃除ができる」というだけでも、心と身体が少しすっきりします。オオゲサに言えば、人生がちょっと明るい方向にシフトしていくと思います。
「治るものなんだ」っていう驚きと実感は、わたしにとってはかけがえのないくらいに大切で、嬉しいものでしたから。