競馬・乗馬・馬文化 しげさんの馬三昧

博物館

民芸品・郷土玩具

木彫馬(北海道) 八幡駒青森県 チャグチャグ馬コ岩手 南部鉄器 馬百態(岩手)

阿寒湖畔にて(1980年)

青森 八幡馬

チャグチャグ馬コ

南部鉄器

豊年駒(秋田) 八橋人形(秋田) 弥治郎系こけし(宮城) 木ノ下駒(宮城)

豊年駒

八橋(やばせ)人形 秋田市 道川トモ作

弥治郎系こけし馬

木ノ下駒

三春駒福島 きびがら細工栃木 わらべ駒(栃木) 江戸凧 干支左午(東京)

三春駒

きびがら馬

わらべ駒

江戸凧

赤駒(東京) 稲馬(新潟) 五箇山和紙干支紙朔(富山) とやま土人形(富山)

深大寺 赤駒

稲馬

五箇山和紙(富山)

とやま土人形

起き上がり赤馬(石川) 木版手染ぬいぐるみ岐阜 三将馬  家康公栗毛(愛知) 京陶人形 飾り馬(京都)

起き上り赤馬(土)

素朴な生木綿に飛騨の伝統ある木版で染付け高温で色止めし籾殻をつめた、全て手作りのぬいぐるみ

三将馬・米俵

埴輪馬(奈良) 那智豊年馬(和歌山) ペンペン馬(島根) 太古窯(山口)

橿原神宮

白飾り

宇部太古窯

博多人形(福岡) 夫婦しゃんしゃん願い馬(長崎) 肥後ぼした馬(熊本) キジ馬(熊本)

博多人形

夫婦しゃんしゃん願い馬

肥後ぼした馬

人吉キジ馬

はにわ馬(宮崎) しゃんく馬(宮崎) 祭馬(鹿児島) 琉球紅型(沖縄)

宮崎 はにわ馬

宮崎しゃんく馬

祭馬(鹿児島)

琉球紅型(杉本氏より)

 

日本三大駒

三春駒(福島県

三春駒

三春駒の由来は今から千五百年以上前の延暦年間に遡ると言われている。時代は降って百五十年前の文久年間、全身が雪の如く白い稀代の名馬「養老号」が誕生した。この勇姿を永く後世に残すため、藩主は彫刻師伊藤光運に命じて等身大の木像を彫刻せしめ、三春大神宮に奉納した。現今もこの白体の木像は「神明様の白馬」と呼ばれ、また、種々の不思議も語られている。名玩「三春駒」は何時とはなしにこの白馬を模して三春白駒を作るようになり、この白駒は名馬養老号の名に因んで老後のお守りとされ、広く賞愛されている。
八幡駒(青森県 八戸

青森 八幡馬

八幡駒は今から約七百年程前、京方面から一人の木工師が南部八戸の天狗沢に流れ着き、木工および塗り物業を営む傍ら、余暇を見つけては馬の玩具を作っていたことに始まる。その後、櫛引八幡宮において流鏑馬の儀式が行われる際、参詣者のお土産として売られるようになった一鉋一鑿の木彫りの馬の玩具が、今日の八幡駒へと繋がっている。
木ノ下駒(宮城県 仙台

木ノ下駒

奈良・平安朝の時代、朝廷における「駒牽」に馬を献上する際、多賀の国では木ノ下薬師堂境内で催される駒市で選び、この献馬は胸に「馬形」といって木で小さく馬の形を刻んだ物を下げて都に上がった。これが、木ノ下駒の起こりと言われる。歳月を経て近年まで木ノ下薬師の祭や竹駒神社の初午の露天にならぶ「木ノ下駒」が土地の馬喰の家の守りとして毎年新しく求められてきた。

 

チャグチャグ馬コ「桐馬」(岩手県 盛岡

チャグチャグ馬コ

岩手は昔から数多くの名馬を産しているが、源義経が一の谷の険しい坂を下った「薄墨」や、佐々木高綱が宇治川の激流を乗りきり、先陣の高名を博した「生姜」も南部馬だった。盛岡周辺の「南部の曲り屋」は、家族と馬が同じ部屋の下に住み、馬は非常に可愛いがれている。旧暦の五月五日端午の節句は、馬の息災延命を祈る祭日として、どこの家でも愛馬を金銀紅紫の装束で飾り、馬の守護神である鬼越にある駒形神社の本尊にお詣りする慣わしがあり、馬につけた大小の鈴の音が朝空にチャグチャグと鳴り渡るところから「チャグチャグ馬コ」といわれるようになった。今では新暦の六月十五日に、駒形神社にお詣りの後、勢揃いして盛岡の八幡宮詣りするようになり、この行列の美しさは、まさに一幅の絵巻物である。民芸品「桐馬」は南部桐を素材に「チャグチャグ馬コ」を素朴な郷土玩具としたものである。

 

中山人形(秋田県 横手

中山人形 土鈴(干支午)   三代目樋渡義一による熊谷直実と平敦盛人形

鹿児島県水出郡で生を受けた陶工・野田宇吉は盛岡に渡り南部氏の保護を受け「山陰焼」を製作。その後、天保四年の大飢饉により廃窯、放浪した後、秋田県湯沢城代佐竹氏の援助を受け磁器の「松岡焼」を製作、更に陶土を求めて横手駅から西に5`の中山に移り住む。宇吉の長男金太郎が樋渡ヨシと結婚したのを機に、この地に永住。金太郎は結婚とともに名家の出である妻ヨシの旧姓である「樋渡」に改姓。当時は、甕(かめ)やすり鉢、煉瓦などを中心に焼いていた。しかし雪深い横手地方は冬期間は仕事にならず、ヨシは宇吉から粘土細工を習い始め、更に横手地方に古くから伝わる「横手押絵」や「串姉コ人形」(姉様人形)からヒントを得て、ヨシの手により風俗人形として『中山人形』の原型が明治七年に創作。その後、三代目樋渡義一により昭和二十四年に発案された干支土鈴が大きな反響を生み中山人形の地位を確立。昭和五十四年の年賀切手には「土鈴羊」が図案として採用された。写真左は同シリーズの「土鈴午」。写真右の作品は三代目による歌舞伎を題材にした熊谷直実と平敦盛の逸品。

 

赤駒(東京都 深大寺

深大寺 赤駒

「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山歩ゆか遺らむ」(万葉集巻二十) 武蔵国の椋椅部荒虫が防人に召集されて当時の国府(現在の府中市)に集合するよう命じられ、至急出発しなければならなかった時に妻の宇遅部黒女が詠んだ歌。この歌に因んで、深大寺近辺の農家の嫁は古くから藁で赤駒を作ったという。(注)多摩の横山;深大寺あたりを含む丘陵地帯。

 

土駄引馬(熊本県 阿蘇

土駄引馬(熊本)

雲を呼んで折り重なる山々は、緑の鉾杉につつまれて果てしなく続く、小国(おぐに)は文字どおりの森林王国。その小国杉を運搬する馬を、土地では土駄引馬と呼んでいる。皮付きの杉枝で作った馬の顔、首、胴体、四肢、藁細工の胸当て、しっぽ、縄で引っ張った二本の杉丸太、すべてを極度に単純化したこの民芸品「土駄引馬」はその運搬風景を、野趣あふれるばかりの素材のタッチで描き出されている。

 

馬鈴(北海道

馬すず

北海道を代表する風情のひとつに薄明りの雪道を行く馬ソリの鈴の音がある。明治のはじめ、北海道の原野を開拓する人々が道産子や、本州の南部あたりから連れてきた馬に鈴をつけた当初の目的は、熊をはじめとする数々の獣の横行する未開の地にあって、これらの獣を遠ざける目的であった。従って鈴は、あくまでも音色の澄んだ、遠方まで音の透けるものでなくてはならない。その結果、世界でも珍しい銅と錫の合金でつくられた高価な鈴が使用されるようになった。

 

きびがら細工「百馬写しに」(栃木県 鹿沼

きびがら馬

日光山麓鹿沼に大芦という里がある。この地は、鎌倉時代の御朱印地であり、馬の育成が盛んな土地だった。この地を立寄った雪舟は、その馬の姿を百体に写して描き、その画は今、鹿沼の鎮守今宮神社に奉納されている。鹿沼は、古く天保年代より伝統品として鹿沼箒が作られているが、きびがら細工は、この枠をとらえ、近代的感覚を加えて生まれた郷土玩具である。

 

キジ馬(熊本県 人吉

人吉キジ馬

キジ馬は寿永の昔、平家の一門が一の谷 壇の浦の戦いに敗れ、住いを山間に求め一部は人吉の奥、木地屋に居を定めた際、過ぎし都での栄華の夢を慰めるために花手箱、羽子板などと共に作られ、今に伝えられている。鮮やかな色合いは、当時は木の実、青葉、イセビの実などで造り出された。なお、頭に書かれている大の字は、キジ馬を製作していた大塚家に養子に入った若者が養家を出てキジ馬作りを業とした際、養家への申し訳と感謝の気持ちをこめて書くようになったと言われている。

 

    馬切手にみる民芸品・郷土玩具