国際『馬』交流展
インド
1981年、競馬後進国と呼ばれていた日本の競馬開国を告げる第1回ジャパンカップが東京競馬場で開催された。結果は、決して一流とは言えない海外の馬に日本の超一流馬は難なく捻られ、我が国の競馬人には表現のしようがない重苦しい雰囲気と強い衝撃が走った。「100年かかっても外国馬には勝てない」 日本競馬の明日に大きな暗雲が立ち込めた。まさに黒船ショックである。そのジャパンカップ、なんとヨーロッパ馬は招待されなかった。そのかわり?米国の3頭、カナダの3頭に混じってインドの馬がいた。「インドのシンザン」とマスコミに祭り上げられたオウンオピニオンである。結果は15頭立ての13着であった。
さて、インドの競馬の歴史は古く、アジアで最初に近代競馬が行われた国である。1780年にマドラスでイギリス軍人による競馬がそれであると言われている。しかしながら、馬資源は乏しく、クラシック競走は4歳馬(旧5歳馬)によって争われている。因みに1974年カルカッタのセントレジャー、オークスを勝った馬の父は日本中央競馬会がアジア競馬会議の国際協力の一環として1968年インドに寄贈した1956年日本ダービー馬、そして1958年日本馬初の海外遠征、そして1959年ワシントン・バースデーH(米サンタアニタ競馬場)優勝馬であるハクチカラである。ハクチカラは1979年天寿を全うしたが、その地インドには立派な墓が建てられているという。

第1回JC公式プログラム ハクチカラ
(加・米・日の国旗に加えインドも) (西村俊郎氏画 JRA競馬博物館蔵)
【工芸品】

【馬切手】
