競馬人サイン会
| 松永幹夫 元騎手(現調教師) |
| 天覧競馬での優勝、最後の重賞での劇的制覇。続くラストレースでのJRA通算1400勝達成。「ミッキー」、「ターフの紳士」に加え「ドラマを生む男」の愛称が加わった。その松永騎手の重賞47勝目を飾るマーチSでの実使用ゼッケン。 |
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| 増沢末夫 元騎手(現調教師) | 騎手サイン寄書き | 岡部幸雄 元騎手 |
| 1974年末、ポリドールレコードから発売された「さらばハイセイコー(作詞小坂巌)」。歌手増沢末夫がTVの歌番組に掛け持ち出演する程の大ヒットとなった。 | 1970年代後半の騎手の寄書きである。ダービージョッキーの大崎昭一氏や故中島啓之氏、またオークス3連覇の嶋田功現調教師らそうそうたる名が連ねている。 | 1993年5月、骨折、裂蹄で11ヶ月休養後の復帰戦、岡部騎手が初めてプロストラインの手綱をとった。嬉しかった。そして連勝、重賞制覇へと繋がっていった。 |
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| 故 菊池寛 氏 | 故 佐藤正人 氏 | 故 大川慶次郎 氏 |
| 1936年にモダン日本社から発行された文豪菊池寛の『日本競馬讀本』は現代の馬券必勝法にも通じる示唆に満ち溢れている。因みに、当方の座右の銘は『無事是名馬』であり、馬券哲学は『堅き本命を取り、不確かなる本命を避け、確かなる穴を取る。これ名人の域なれども、容易に達しがたし』である。 | 『一国の競馬の質は、その国でいかに競馬に関する書籍が出版されているかによって判断できる』。1960年代より30年間にわたって出版された「わたしの競馬研究ノート(全16巻)」は、わが国の競馬の在り方、進むべき方向を正面から見据えた競馬人の本である。まさに日本競馬文化のパイオニアであった。 | 10歳の頃には「競馬は転職」と定めた大川慶次郎。1961年9月には「ホースニュース馬」紙上で斯界初のパーフェクト予想を達成した。その快挙を度外視しても、競馬に対する情熱、そして信念は「競馬の神様」の称号に相応しかった。「ライアン、ライアン」の叫び声と共に大川節が懐かしい。 |
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| 本村凌二 氏 | 山本一生 氏 | 小野寺直美 氏 |
| 東大教授本村先生が「もし馬がいなかったら、21世紀はまだ古代だった」という想念におそわれ書き起こした著書「馬の世界史」は2001年の馬事文化賞を受賞した。因みに「万馬券は馬情に散った」他を別名で出筆している良き競馬ファンであり、また英国KジョージY&QエリザベスSを最も観戦しているであろう日本人でもある。 | 「競馬学への招待」を読んだ高橋源一郎氏から「ダービーの前夜は山本一生を読もう」と激賞された一生さんは「競馬は一編のミステリー」と言って憚らない。その一生さんが有馬記念の生みの親である有馬頼寧の日記を紐解いた「恋と伯爵と大正デモクラシー」で2008年日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた。とにかくバンザ〜イである。 | 女性競馬キャスターの草分けの一人である。「三木さ〜ん、小野寺さ〜ん」の呼びかけで始まるテレビ東京「土曜競馬中継」のパドック解説、またグリーンチャンネル「全国競馬便り」での名キャスター振りが目に浮かぶ。現在充電中の彼女であるが、一日も早い復帰を待ち侘びたい。 |
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| 橋本邦治 氏 | 元大関 小錦関 | 田中康弘 調教師 |
| 1965年にスタートした♪シャバラバ・シャバラバ♪のTVビ番組「11PM」。そのなかで大橋巨泉氏と共に金曜日に競馬予想を担当していたのが、獣医でありながら日刊スポーツ競馬記者であった橋本氏。すでに米寿間近の今も、まだ矍鑠とした姿で東京競馬場の穴場に通われている。 | 1999年、単勝、複勝、枠番連勝、馬番連勝に続くJRAの新馬券として、拡大馬番号連勝複式勝馬投票券が誕生した。通称ワイド馬券である。そのキャラクターはワイドな体と親しみやすい人柄のKONISHIKIさんが選ばれた。当時は人も馬も「外国産」流行りであった。 | 東京都トレーナー倶楽部会長であり1952年京浜埋立地の品川区勝島町に競馬場を開設した当時より大井競馬場に住んでいる師。幼い頃、父親から与えられた本は、ビューチフルドリーマーから始まる血統書であったという。その師の2008年への思いは「飛翔」である。 |
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